書評

【書評】1985年の無条件降伏〜プラザ合意とバブル〜|岡本 勉【要約・感想】

こんにちは、ぺんりる(@penpen1191)です。

今回紹介する1冊はこちら

1985年の無条件降伏〜プラザ合意とバブル〜

本書は

それまで輸出大国と言われていた日本の転換点となったプラザ合意、そこから始まるバブル景気と崩壊、その後の長期にわたる日本の不景気

について、当時読売新聞の記者であった岡本勉氏が、その時の現場の状況も踏まえて分かりやすく解説しています。

《本書で学んだ3つのポイント》

・リスクを予測できない恐怖

・客観的な視点を意識する

・未来へのリスクを減らす

1985年の無条件降伏〜プラザ合意とバブル〜

1985年の無条件降伏〜プラザ合意とバブル〜|Amazonの内容抜粋

◎現代史の転換点
戦後11年「もはや戦後ではない」(経済白書)
戦後19年 東京オリンピック開催
プラザ合意から33年「失われた20年」から抜け出せない

【内容紹介】
ジャンボ機墜落の衝撃はあまりにも大きく、1985年の夏は、日本中が重苦しい空気に包まれていた。
新聞もテレビも、連日、ジャンボ機墜落のニュースで埋め尽くされた。
この年は、9月21日が土曜日、22日が日曜日、23日は秋分の日という三連休があった。ここで、やっとひと息つけるという空気が漂っていた。
ところが、そこへ、ワシントンから至急の連絡が入ってきた。
それは、「日米欧の蔵相と中央銀行総裁が、ニューヨークに集まっている」という驚くべき内容だった。当時の蔵相は竹下登氏、日銀総裁は澄田智氏だ。
前日の金曜日は、2人とも、確かに日本にいた。三光汽船の倒産が日本経済に影響が出ないよう、あれこれ、指示をしていたのだ。
これが、プラザ合意の幕開けだった――。

出典:Amazonの内容紹介

筆者は、当時読売新聞の記者だった岡本 勉(おかもと つとむ)氏。

岡本氏は、1978年に東京大学経済学部を卒業後に読売新聞社へ入社、日銀を担当した際の1985年にプラザ合意に遭遇します。

その後も日米の経済関係やウォール街、経団連を担当するなど、経済記者のプロフェッショナルとしても有名です。

1985年の無条件降伏〜プラザ合意とバブル〜

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リスクを予測できない恐怖

そもそもプラザ合意とは

プラザ合意(プラザごうい、英: Plaza Accord)とは、
1985年9月22日、先進5か国 (G5) 蔵相・中央銀行総裁会議により発表された、為替レート安定化に関する合意の通称。その名は会議の会場となったアメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市のプラザホテルにちなむ。
会議に出席したのは、西ドイツ財務相のゲルハルト・シュトルテンベルク、フランス経済財政相のピエール・ベレゴヴォワ、アメリカ財務長官のジェイムズ・ベイカー、イギリス蔵相のナイジェル・ローソン、そして日本の竹下登蔵相である。
以後の世界経済に少なからず影響を及ぼした歴史的な合意だったが、その内容は事前に各国の実務者間協議において決められており、この会議自体はわずか20分程で合意に至る形式的なものだった。

出典:Wikipedia

要約すると、当時の日本は円安と大量の輸出によって巨額の貿易黒字となり世界で1人勝ち状態となっていたため、各国で協力して円高にしていこうという合意です。

ちなみに当時の円ドルのレートは『1ドル=240円前後』というとてつもない円安でした。

現在(2019年8月時点)のレートが『1ドル=106円前後』ということを考えると当時の円安の凄さが分かると思います。

プラザ合意後は驚異的なスピードで円高が進んでいき、なんとプラザ合意から1年間で『1ドル=150円前後』まで円高が進んでしまいます。

ぺんりる
ぺんりる
実行為替レートもあるけど複雑なのでここでは割愛!

しかし、当時の政府はここまで大きな為替の変動を経験したことがなく、むしろ大幅な円高を歓迎するようなムードさえありました。

今でこそ為替の影響が経済にどのような影響を与えるのか、過去のデータや体験からある程度予測することができます。

リスクを予測できないというのは本来恐怖です。
なぜなら『知らない』『経験したことがない』というのは、その後のリスクも予想できないことが多いからです。

新しいことにチャレンジする時は可能な限りリスクを洗い出しましょう!

1985年の無条件降伏〜プラザ合意とバブル〜

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客観的な視点を意識する

人間は異常な状態であっても、その渦中に居ると異常性に気がつかないときがあります。

例えば、長時間労働やパワハラ・セクハラの横行といったブラック企業に勤めてしまった場合、普通の会社に勤めている人は明らかにブラックだと気づきます。
しかし、ブラック企業に勤めている人たちは、自分たちが勤めている会社が異常だと気づかないことが往々にしてあります。

本書にも書かれている、大幅な為替変動や不動産価格の急激な上昇(バブル経済)は、現在の私たちから客観的に見ると明らかに異常な状態です。

しかし、当時はその状態が当たり前であったため、疑いもせずありのままの現状を受け入れていました。

そして、現状を受け入れ続けてきた結果、その後の”バブル経済の崩壊”や”デフレの長期化”によって日本の経済は大きく低迷してしまいました。

私たちは、つい物事を主観的に考えがちです。
このため、常日頃から客観的な視点で自分の現状を把握して、些細な異常や違和感を発見できる状態にしておくことが重要です。

1985年の無条件降伏〜プラザ合意とバブル〜

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未来へのリスクを減らす

未来のことはわからない。
しかし、われわれには過去が希望を与えてくれるはずである。

出典:ウィンストン・チャーチル

私たちは、未来を予測することはできません。

しかし、過去の経験やデータから未来に起こりうるリスクを低減することはできます。

日本は第二次世界大戦後の円高で貿易大国となり、その後、バブル経済とその崩壊を経て長期的な不景気やデフレの時代も経験しました。

現在は長期的な景気低迷を脱却すべく、過去の経験を踏まえ、アベノミクスによる異次元の金融緩和といった金融政策を行っています。

過去に積み上げたものが多ければ多いほど、未来への選択肢が増えます。
そして、選択肢が多ければ多いほど、よりリスクの低いものを選ぶことができます。

未来の選択肢を増やすためには日々新しい知識や経験を吸収し、自分自身の経験を貯蓄していくことが重要です。

1985年の無条件降伏〜プラザ合意とバブル〜

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まとめ|1985年の無条件降伏〜プラザ合意とバブル〜

本書のポイントをまとめます。

《本書で学んだ3つのポイント》

・知らないということは、その後のリスクも予測できない
 ・未経験なことほど慎重な行動を心がける

・常に客観的な視点を意識する
 ・自分を客観視するクセをつける

・未来の予測は困難だが過去から学べることは多い
 ・過去に積み上げたものが多いほど未来の選択肢が増える

最後まで記事を読んでいただきありがとうございました!

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