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【お台場の区境を徹底解説!】お台場が港区・品川区・江東区に分かれているのはなぜなのかを解説

こんにちは、ぺんりるです。

チームラボや東京ジョイポリスといったアミューズメントパークから、観覧車や等身大ユニコーンガンダムといった観光名所など、魅力的な場所の多いお台場。

そして一般的に、お台場は東京23区において”港区”に属していると思われています。

しかし、これは半分正解で半分まちがいです。

実はお台場は、港区・品川区・江東区3つの区に分かれています。

本記事では、お台場が港区・品川区・江東区の3つに分かれている理由を徹底解説していきます。

お台場の区境(港区・品川区・江東区)

© OpenStreetMap contributors

 

お台場は上の画像のように、港区・品川区・江東区に分かれています。

港区 首都高速・国道357号線より北側、お台場海浜公園やフジテレビがある。

品川区 東京国際クルーズターミナルより西側

江東区 首都高速・国道357号線より南側、東京ビックサイトやヴィーナスフォートがある。

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お台場の歴史(港区・品川区・江東区に分かれるまで)

お台場が港区・品川区・江東区の3つに分かれることについて、まずはお台場の歴史を紐解いていきましょう。

実は、現在のお台場は江戸時代までは影も形もありませんでした。

お台場が誕生するのは江戸時代末期、1853年のペリー来航が発端です。

鎖国により、外国とのつながりがほとんど無かった江戸幕府は、ペリーの率いる4隻の黒船が浦賀に来航したことにとても焦りました。

そこで江戸幕府は、江戸の防衛を目的として、江戸湾口に海上砲台の建設を開始します。

この、江戸の防衛を目的として建設された海上砲台が現在のお台場です。

その後、明治に入りお台場は陸軍の所管となりますが、必要性がなくなり、東京府芝区(現在の港区)の所管となります。

お台場は、ペリーの黒船来航に対抗する防衛手段として誕生した

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お台場が港区・品川区・江東区に分かれている理由

次に、お台場がなぜ港区・品川区・江東区の3つの区に分かれているのか解説します。

東京府芝区(現在の港区)の所属となったお台場は、その後も継続的に埋め立てが進められていきます。

私たちがよく知るお台場の形が完成したのは1979年ですが、その時点ではいずれの区にも属していませんでした。

そこで、どの区の管轄になるのかを決めるため、行政区域線を海側に伸ばし、その線内の地区を行政の所管とする従来のルールを適用しました。

その場合、港区・品川区・江東区の3つの区に権限があり、いずれの区も権限を譲らなかったため、1982年の調停案によってお台場は分割されることになりました。

港区・品川区・江東区がお台場を取り合ったため、お台場は分割された

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まとめ

以上が、お台場が港区・品川区・江東区に分かれている理由です。

当初のお台場は、アメリカとの戦争を想定した防衛施設として作られましたが、江戸時代に海の埋め立てを行うためには莫大な費用が掛かったと思います。

こうしたことからも、当時の江戸幕府の混乱ぶりがうかがえます。

お台場を訪れる際には、お台場の歴史を振り返ったり、それぞれの区の境を探してみるのも面白いと思います。